* Jessup2000観戦記 *


(以前、ある上回生が寄稿してくださったものを転載しております)

何ら生産性のない文章です。暇がある時のみ、お読みください。

『読んではいけない3』(すぐさま消去してもかまいませんバージョン)

○12月25日
 10時京都駅集合。青春18の旅スタート。
 京都〜米原:電車は空いていて、皆座れる。幸先のよいスタート。特大のポテチを開封。「まじで、これ全部食えんの?」
 米原〜大垣:三両編成ぐらいではなかったか。さすがに座れず。ただ、旅も始まったばかり。立っていても何も問題なし。昼食をどうするかということが話題に。「大垣で…」ということだったが、4分乗り換えで、そんな暇なし。
乗り遅れてもいいかぁ…まだ余裕である。
 大垣〜豊橋…と思いきや大垣〜名古屋:昼食問題が、暴走し始めた。「何かご当地のもの食べよう。」「名古屋のみそかつ。」「いいねぇ。」「まじで降りるの?」…気が付けば、私たち(=浅井、清原、畠山、堀内、南田、宮崎…五十音順、敬称略)は名古屋駅に降り立っていた。と、ここで、24日組(先発隊)からの電話。「静岡には気をつけろ。」。「奴は横長だ。がんばれ。」とのこと。…何をがんばるの?「おまえら今どこ?」「名古屋で途中下車です。」「アホか。」なんて会話も。そしていつのまにか、私たちはみそかつを食していた。名古屋のみそかつは甘いっ。で、うまいっ。皆の気分はノリノリ!!というわけで、さっそく、「晩飯横浜中華街計画」が持ち上がる。
 名古屋〜豊橋:はりぼての河合塾名古屋校を後に、電車に揺られ豊橋へ。お昼寝タイム。「何と優雅な…。」
 豊橋〜静岡:確かに長〜い区間であった。しかし、私たちは静岡に敗北を喫することはなかった。我々は何とここで、Jessup勉強会を遂行したのである…といっても、問題とメモリアルを読むだけだったが。
 静岡〜沼津:結構いい時間になってきた。空も薄暗くなりつつある。空が明るいうちに日本一の山は見えるだろうか?…見えた!「おぉ〜。」さすがに在来線、鑑賞時間が長いや。富士駅あたりで、空が黒くなる。
 沼津〜熱海:静岡を撃破し、疲れもピークか…と思いきや、大富豪バトル開始。
「私たちの辞書に疲れという文字はない」
 熱海〜横浜:「晩飯横浜中華街計画」が現実味を帯びてくる。時間はもう19時。テンションは落ちない。「もちろん中華街でしょう。」…決定!!「青春18の旅、最高っ!」勤め帰りの人などで込みあってくるが、混雑する在来線で席を確保することに成功し、人目をはばかることなく、大富豪バトル続行。「旅の恥はかきすて」だっ…て、今思うと、恐ろしく恥ずかしいことしてたなぁ。横浜到着。中華街まではけっこう距離がある。断念。とりあえず夕食を済ませ、来年の計画に横浜中華街を盛り込むことを決意し、横浜を後にする…って、来年の目標はJessup出場では?
 横浜〜品川:旅も収束に近づいてくる。「あぁ、もう終わりだね。」
 品川〜目黒:目黒駅にて、浅井君下車。目黒駅のサイレンが印象的。ウ〜ンウ〜ン…って、事故でも起きたと思うがな。
 目黒〜原宿:私が中学の修学旅行で、同じグループの人間が「てれほんかあど、いりませんかぁ?」とイラン人(?)に声をかけられたという思い出の地、原宿到着。6文字以上しりとりでもしながら、ただやみくもに歩く。「こっちでいいの?」「多分。」「多分って…それでええの?」「知らん。」「ええんちゃう?」…「いいのか、それで?」
 23時、オリンピックセンター到着。京都出発が10時半。11時間半の長旅でした…と言いたいところだが、元気な奴は元気。そこから歩いて、都庁まで行っていたそうな。
その頃、宿居残り組み(=キヨ)はTVで、新宿駅東口での異臭騒ぎのニュースを見ていたとさ。めでたしめでたし…

○12月26日
―Jessup2日目。京大観戦記―
 1. 予選第4ラウンド―原告慶応vs被告京大
う〜ん、ねむい。少しばかり寝たぐらいでは、旅の疲れはとれなかった。とりあえずの印象といえば…加藤さん、篠原さんカッコイイ!!(←手抜きでごめんなさい)
 2.準決勝―原告京大vs被告慶応
「おい、あの原告2人、オーラが出てるぞ。」「何かが乗り移ってる!!」京大原告は凄すぎた。この法廷で、京大の伝説になるであろう「あと二分事件」が起こるのである。(原告松尾啓二郎反論)立て板に水とはまさしくこの事を言うのだろう、そう実感しながら反論を聞いていた。もっとも聞いたところで何もわからないのであるが…
まぁ、それはいいとして、あっというまの持ち時間5分が終了した。その時である。
(裁判長)「あと二分いいですよ。」
(松尾さん、傍聴者全員の心中)「へっ!?」…訳が分からない。(裁判長)「いや、先の主張で言えなかったことがあるでしょう?」…延長の申請も無いのに、裁判長が延長を認めたのである。一番質問をしなかった裁判長が、楽しそうに松尾さんの弁論を聞いている。前代未聞の裁判官による時間延長。彼は、松尾さんの弁論をもっと聞きたかったようである。裁判官の心をここまでつかんだ弁論者tuoさん(松尾さんの愛称)。京大の勝利は間違いなかった。それにしても、3回生3人(しかも原告2人はベスト・セカンドオーラリスト)の弁論の後、被告第二代理人1回生永井君…思わず、かわいそ〜、と思ってしまいました。本当にお疲れさまでした。
 3.決勝―原告京大vs被告東大
ベストを受賞した松本さんが、申請時間を忘れたということで多少の動揺もあったのだろう。準決勝ほどではないにしろ、京大原告のパワーは凄すぎた。あの会場で弁論してみてぇ〜。「来年はがんばるぞと。」
で、まぁ、例のごとくレセプション、二次会とあいなったわけです。
(皆さん、次回Jessupの法廷ではどうかひとつおてやわらかにお願いいたします。)

○ 12月27日
おのぼりさんツアー。(東大の方、遅刻してしまい申し訳ありませんでした。以後、「国法研時間」撤廃に向けて努力していく所存であります。)東大赤門、東大時計台で集合写真…「お前ら、どこの受験生やねん!」三四郎池にも寄りましたね。その後、私が高校の時「てれほんかあど、いりませんかぁ?」とイラン人(?)に声をかけられたという思い出の地、上野へ移動。西郷どん(「さいごうどん」を変換したら「最後うどん」と出てきて唖然)の前で、集合写真。本当に「おのぼりさんツアー」だったわけ。「旅の恥は掻き捨て。人生は旅であると言われる。よって、人生の恥はかきすてで、何をしても恥ずかしくない。」という論理がまかり通ったわけである(反論は受け付けません)。まぁ、ハチ公前で写真を撮ったことのある私としてはもう怖いものはないんですけどネ。昼食を済ませ、午後の方針は「お台場さむさむツアー」に決定というわけで、新橋まで出てゆりかもめに乗る。フジテレビ本社の球体に入り「しょ〜もねぇ〜、何も無いやん。」一応、本邪魔か…ちがうホンジャマカ石塚らは見たけど、金払って番宣されたという感じだった。そして、世界一高い観覧車に乗って「夜景キレイ!」とかわいわい騒いでいたとき、倉田氏らはあるものを目撃したらしい(詳しくは倉田まで…勝手にこんなことしていいんか?ま、いいか)。
で、新橋へ戻り、夕食タイムに。ただ夕食をとるのも芸が無い!という狙いはなかったが、もんじゃ焼きで盛り上がる。堀井氏曰く「泥遊びを彷彿とさせる」「世の中の人は東大京大の人間がこんなアホとは思ってないのよなぁ」。長いようで短いようでやっぱり長いようででもやっぱり短かったおのぼりさんツアーも終了。クラスメートの自宅に泊めてもらう人、カプセルホテルに泊まる人とわかれ、静かな夜を迎えましたとさ…少なくとも、カプセルホテルに泊まった倉田・堀井・山本・キヨはね。

○ 12月28日
青春18の旅復路スタート。
 横浜〜桜木町:8時横浜集合。なんやかんやあって、ランドマークタワーへ。最高時速はカールルイスよりも速い世界一速度の出るエレベーターで69階へ。言うまでもなく、めっちゃ高い。「お前、もし仮に命は絶対保証されているとして、ここの窓拭きをやれと言われたら、いくらでする?」「できないね。」ってな会話がでるほどであった。なぜだろうか、高いところは人を興奮させる。ただ、ここで思ったのは、京浜地区は空気が悪そうだということである。なんか、おそらくは車とか工場とかの排ガスが上昇してきて靄状になっているのだろう。何か白い気体が覆い被さっているような感じだった。 
 桜木町〜品川:3駅ぐらいじゃあ何も無いね。
 品川〜小田原:やってきました、ここ小田原。「ところで、小田原って何県?」
「知らん。」京大生の知性・常識の無さが分かるやりとりである。腹減ったとか言いながら、小田原城入城。時計を見ると14時。「今日、帰り着くの?」不安がよぎる。
…実はこの後のことはなぜかあんまり覚えていないのです。とりあえず、大富豪をやったこと(混雑する在来線の中での大富豪は恥ずかしすぎということ)、英単語しりとり、人名しりとりをやって、「千々石ミゲル」に大受けしたことだけは記憶しているが、なんだかんだ言いながら京都にちゃんと21時半ぐらいには到着しまして…ってな感じです。


長々と、失礼いたしました。
精神衛生上害となりうる文章を作成したことをお許しください。

それでは皆さんさようなら。こんどは『読んではいけない4』でお会いしましょう。
…えっ、もういいって?


最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。


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