* 1999年Asia Cup(本選)観戦記 *

(以前、ある上回生が寄稿してくださったものを、少々修正を加えて転載しています。)

題名『読んではいけない』

9月10日(金)

法学基礎論の試験、難しすぎ。国法研ピープルでさえヒーヒー言ってるのに(って俺だけか?)。

ともかく、試験を終えて、いざ東京へ。と思いきや、座席がない。ショーック!新幹線に乗ってから自分の答案の誤りに気付く。ダブルショーック!そんなこんなで、デッキでボーっとしていると、名古屋からある一人の中年男性が乗ってきて、東京まで立ち話をすることになる。彼は、私ぐらいの時期が最も充実していたらしく、「君ぐらいの歳に戻りたい」と連呼。(近くに売店があり、彼はビールを飲みまくりほろ酔い気分であった)。東京に着く直前になって、彼が東大卒で司法試験を断念したということを吐露。彼は、自分の判断で目の前にいる人間の白黒をはっきりさせてやるという裁判官の仕事が、どんなにおもしろいものか!と熱弁。そんなこと思ってるから落ちたんじゃねえのか?ともかく、彼が現在、サラリーマンをしていることで、日本の平和が守られている。

東京着。時計は20時を過ぎていた。宿泊地渋谷へ。渋谷は怖い。コギャルがうじゃうじゃしている。そんな中、でかいリュックを背負い、片手にもう一つのリュック、もう片方の手にはスーツバッグと地図といういでたちの人間1人。場所間違ってない?と聞かれそうだ。さすがに、そんなことはないが、宿を目の前にして中年のオヤジに声をかけられる。「どこ探してるんや」「山陽会館(宿)です」「おう、山陽会館か。ところで、これのほうは?」彼が、小指をたてる。いでたちを見れば、そんなんじゃないというのが分かりそうなものだが…確かに、宿は料金が安い分、立地条件が条件だった…(周囲は別目的の宿泊施設が多かった)

アジアカップの会場をチェックする。JRなら「新橋」駅。えっ?「新宿」じゃないの?勘違いして宿を決めてしまった。が、地下鉄で行けるのでOK。肝を冷やした瞬間であった。

ってなわけで、23時、就寝。(が、枕が固く、なかなか寝つけず。)

9月11日(日)

アジアカップ当日。会場は「日本プレスセンタービル」で、おそらく、その名の通り記者会見などが行われているところであろう。さすがに、豪華というか立派というか、とにかくジャパンカップと全く違った雰囲気で、こんなところで弁論してみたい!と思わずにはいられない。

第一試合。ラオス対マレーシア。ラオスは国際模擬裁判に不慣れなようで、法律論になっていない。「カザランはなんのルールに違反しているのですか」「どういう意味ですか?質問の意味がよくわかりません」といった感じで、アジアカップの「第一回目らしさ」というものを感じる。マレーシアの二人の弁論は対照的でおもしろかった。一人はガンガン言葉を発していくタイプ、もう一人はゆっくりと落ち着いた口調で話を進めていくタイプで、後者の弁論者(女性)はベスト・オラリスト賞を獲得した。同時通訳はさすがに聞き取りにくく、弁論内容を理解するにはいたらなかった。

第二試合。日本(東大)対ベトナム。前日の睡眠不足がたたり(遊んでいたわけじゃないよ。単に眠れんかっただけだよ)、第二試合は、聞いてはいるもののぜんぜん頭に入らないといった状態だった。ベトナムは仲裁協定の無効を主張する際に、ロッカービー事件を引用するということだったが、その内容には触れなかったようである(もっとも,私が記憶していないだけなのかもしれないが)。あとから聞いた話だが、東大は、ジャパンとアジアで問題(クラリフィケーション)が違ったためジャパンでの論がつぶれてしまったので、京大の論をパクったということだそうである。

第三試合。フィリピン対インドネシア。フィリピンは「手ぶら弁論」―手には何も持たず、弁論台にも何も置かない―で、質問に即答していく。裁判官の質問に対しては、最初にYES/NOを明言するので、聞いていて分かりやすい。結局、このフィリピンが優勝したのだが、こういった弁論をするにはやはり、かなりの理解が必要だろうというのは、言うまでもない。目標となる弁論を聞かせてもらった感じがする。

インドネシアの弁論は大変な方向へ行ってしまった。25条を根拠にSC決議を正当化しようとする弁論者にに対し、「25条は『決定』とありますが、SC決議は全て『決定』ですか?」「はい、そうです」「いかなるSC決議にも拘束力が付与されるということですか?」「そうです、裁判長」といった具合で、成り行きでそうなったのだろうが、そうとうしんどい主張となってしまったようだ。総じて感じたことは、まず一つ。英語はカッコイイということ。俗っぽいが、英語が全くダメな私には、かなりの刺激になった。自分で言うのも変な話だが、この刺激だけでも大きな収穫で、東京まで行って良かったと思っている。そして、二つ目は、自分が弁論中、相当つまっていたということである。というのも、今回の3試合を見て、けっこうスムーズに、つまることなく進んでいるという印象を受けたのだが、別の人に聞くと、けっこう皆ひっかかっていたとのこと。私の感覚では「つまっていない」と感じても、他の人から見ると「つまっている」ように見えるということがわかった。今後の参考というより課題である。レセプションでは、関東の1回生の参加率があまり高くなく残念だったが、また何人かと仲良くなる。海外の方と話をする機会も得るが、話すには話しても、聞き取れないので会話が続かない。加藤さん(京大の先輩)もおっしゃっていたが、とにかく、ヒアリング力を身につけることが肝要であるということを痛感する。宿のほうも、そこで知り合った慶大生(ジャパンには来ていなかった)の下宿に泊めてもらうことに決まり、駅で寝るという事態は避けられた。こんな感じでアジアカップは幕を閉じる。

9月12日(月)

交流観光企画(鎌倉コース:円覚寺―鶴岡八幡宮―(昼食)―鎌倉の大仏―江ノ島)この日は辛かった。というのも、かなりの時間歩いて疲れたというのもあるが、それ以上に11日にも感じた「言葉の障壁」をますます強く感じることとなったのである。英語ができないのが私だけ。とにかく英語は大切ですね。それ以上言うことがないぐらい、ショックみたいなものを受ける。

とはいえ、「けんだま」は役に立つ(突然だが)。晩にある交流パーティーでは、進行が英語なので何がなんだか分からないうちに時間が過ぎていくことになったが、けんだまをちょいと披露すれば、やってみたいという人が現れ、そうでなくとも、Let’s try!とでも言っておけば、何とかなったりする。それでも、各国それぞれの民族衣装を身にまとい(日本のホテル浴衣はどうだろうとは思うが)、皆盛り上がっている中、英語がわからずホーっとしているのはまったくもって勿体無いと思う。

 −英語は勉強せずとも会話はできるようにならなければならない−

そうなんでもないことを、つくづくと感じながら、23時、横浜で一時間待ち。とてつもなくヒマ。横浜発0:11のムーンライトながらでようやく帰京も、いすが固くて眠れず。



ほんとに最後まで読んでくれるとは・・・


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